2011年
01月
30日

メガーヌVerクープ
 もうすぐ2月。。。。もうすぐ節分。。。。

 いよいよ新年度のスタートになります。ここ最近の沈黙からいよいよ僕も動き出します。


 そんな秒読み状態のここ最近、僕の大切な宝物。「メガーヌVerクープ」を譲ってくれ。。。。との電話が。。。。

 電話の主は、ぼくが敬愛してやまないGSTの佐々木公明社長。
 あの男っぽさと浪花節的人柄にメロメロなんです。ぼくを車屋として育ててくれた恩師でもります。

 そんな佐々木社長の頼みでも、、、、、(このメガーヌは佐々木社長から譲って頂いた車なのですが。。)



 このメガーヌVerクープを簡単に説明すると、1994年このクラスを埋めるべく世界戦略車として開発されたルノーメガーヌ。このスポーツバージョンとしてF7エンジン(2000ccツインカム)を入れ、マミュアルミッションを常用とし、更に2ドアノッチバックにしたて16Vの名前で販売されました。日本上陸は1996年になります。

 1998年。当時ルノーが管理していた旧マトラ工場であるフランスはディエップの工場にて、「ワンメークレース用として更にはメガーヌのプロモーション用として市販車ベースの競技車輌を製造せよ」との使命の中100台近くが生産されました。

 仕様としては、公道常用範囲でのアイテムをすべて撤廃(空調、パワステ、内装他シートなどなど)し、裸状態になったシャシーに国内規格の(フランス)ロールオーバーバー、使用されるミシュランコンペティションタイヤにマッチした高い減衰力のダンパー、スプリング。
 ボッシュ製ECUの制御方法に若干手を加え、内部もリフト量を変えたカムを装着しながら180PSアップした高出力エンジンを投入し、更には、、、、、それらを如何なく誰でも正確に楽しめるようサデフ製シーケンシャルミッションの装着まで。。。。まさに普通のメガーヌじゃありません。

 当時フランス国内の販売価格は200万円弱。たしか日本国内では480万円で販売されていました。(なんで倍に、、、)



 そんなメガーヌVerクープが巡り巡ってぼくの所に来たのは2006年。前での佐々木社長より40万円で譲って頂きました。



 僕はこのメガーヌには大きな思い入れがあって、、、、昔の日記にもありますが、現在ルノースポールの役員を務め、Verクープの開発ドライバーでもあったラリースト、ジャン・ラミョッティー氏と一緒に耐久レースに出たんです。

 2006年11月。「ラニョッティーが来日して茂木に来る!」ということでチーム深谷のみんなで茂木に遊びに行ったんです。ぼくはただ自分のメガーヌで茂木の走行会に出るために、、、、、ラニョッティーに会えたらこのメガーヌにサインをしてもらおう!ぐらいでした。

 茂木ハンバーガーを食べ、パドックに戻ると、ニヤニヤにやけてるTipoの嶋田編集長が「よっちゃん!話全部決まったから!あっちのマネージャーの許可も出たし、成約もクリアしたよ。大丈夫!よっちゃんのマネージャーもゼヒ!とのことだしね(笑)」
 最初は何言ってるかわかりませんでした。ぼくのマネージャーM澤さんに状況を確認すると。。。。

 M「ん?あのメガーヌでおまえとジャンで夕方の耐久レースに出るんだよ!ジャンは日本のレース出たことないから、、それにおまえと組んで出たら話題作りになるだろ?あ、どうせならもう一人入れよう。景山兄さんがいいな。こりゃ、面白い!2人とも運転上手いからしっかり勉強するようにな!いいか!優勝か話題かどちらかだぞ!」との指令が、、、、、(涙)

 世界一と日本一と組んで耐久レースに、、、、しかも世界一の方はこのメガーヌの開発者。。。。。ホンダで言えばセナと中島と組んでNSX−Rで鈴鹿耐久に出るようなもんです。。。。


 せっかくのピクニックモードが突然本気レースモードに、、、、しかもスポンサー絡めたPRにも繋げないと、、、、


 結果は現役F1レースが乗ったGT40と3位争いしながら、ラスト1周でうちのブレーキが燃えて5コーナーで僕が砂場にダイブ、、、、で終わりました。



 そんな伝説のおまけがあるもんだから「この車だけは絶対人に渡せない、、、」と誓って5年。。。。

 ぼくのメガーヌクープは佐々木社長にお返しすることになりました。


 なぜかと言うと、現在佐々木社長の仲良しである元WGPライダーの青木琢磨さんがこのメガーヌに乗ってサーキットを走るということなんです。

 青木さんは数年前のテストライド中、アクシデントに見舞われ現在は車椅子での生活を余儀なくされています。
 先日佐々木社長の粋な計らいで青木さんと電話で少しお話もさせて頂きました。(1990年日本GPでの話しに花が咲きました)

 ぼくも大ファンな青木さんが、、、、ましてこの伝説のメガーヌを駆り再びサーキットを走るなら、、、、伝説に伝説の上塗りです。喜んでマシンをお返しします。



 尚、今後の青木メガーヌの様子は情報入り次第このブログでもお知らせいたします。






2006年茂木での集合写真。

左からラニョッティーさん、景山兄さん、Tipoの嶋田さん。下で祖っ方向いているのがぼくです。松Zさんが写真撮りました。






走るとどんな車かというと、、、、、

あまり速くありません。茂木は25秒(ラニョッティー氏) ぼくは27秒(涙)
パワステないので強烈なキックバックと戦います。それに各部リジッドなので振動がすべて身体に。。。。。
足は後ろのリバウンドが全くないのでステアリング量でいくらでもテールを流せます。タイヤがたわんだ瞬間出るので予測制御していないと終わります。
ミッションのキックバックも大きく右肩がおかしくなります。まさにレーシングカーです。
 
2011年
01月
27日

続:一周忌

新堂さんに相応しい斎場です(笑)

これはよしともクラスの1回目の走行。もうツルツルで大変でした。




うちの待機場所です。筑波特有の寒さはあったものの、比較的穏やかですごし易かったです。
最年少「沼尻翼」19歳から最年長「星野哲朗御大」6○歳まで相変わらずの幅広さを誇っています。(笑)





ペースカーとサーキットタクシーとして使われていたポルシェカレラGTです。
快音響かせながらシャーク松田氏の手により走っていました。サーキット走るの初めてみました。振動と共振していなかったので、、、、なんとなく笛チューンな気がしてなりません。誰か知っている人いたら教えて下さい。




ぼくはいつものミニを持っていきました。うちの沼ちゃんに「予算0円で知恵で毎回タイムアップするマシンにすること!」を社長命令としています。
今回のベストラップは41,5秒。夏よか1秒以上タイムアップしました。
途中ぼくがタイヤ壊したのが悔やまれます。来月4日は筑波2000を走るので大台の5秒台に挑戦します。
写真でぼくの身体が斜めなのは、ノーマルシートなので右腰をシートに押し付け無理やり支えているからなんです。




レースクラス1。
うちのクラス上位5名が選抜され計13台のレースです。
セカンドグリッドにはMBRT106のジュンヤ先生。予選は43,2秒でした。
「クムホの使い方がイマイチわからない。」と、煮え切れないままスタートです。





スタートこそトップだったものの、、、リアタイヤの作動温度不足により2周目までフラフラ、、、、ロードスター、GTVカップに交わされ3位に、、、、




3周目、、、、前を走るGTVカップが突然のエンジンブロー。。。。。
コースに大量のオイルがまかれました。




レースはオイル旗指示に遅れが出て、、、、、MBRT106はそのオイルに足を取られ横滑りしたままグラベルへ、、、、、、
フロントリップスポイラーがなくなりバンパーを破損、、、、でもその程度で済んで良かったです。
「もう少しタイヤに慣れたかった。。。。42秒は楽勝だよ。。。」と悔やんでいました。大事をみて今日は終了です。
でも「運転上手い!」とクムホの樋口社長に誉められていました。





レース2。
速いポルシェとBMWのMのクラスです。ぼくはミニなのにこのクラスへ。。

予選は41,7秒で4番グリッドでした。Mを全車押さえることができたので今日はもう満足です。(笑)





スタートしたらこれです。。。。。(涙)
そりゃ、価格も馬力も倍以上ですからね。。。。

M全車に先に行かれずっとフタをされたレースになりましたが、狭いながらになんとか一台だけ抜くことができました。でもすぐチェッカーが、、、、(涙)

40秒台は三回忌までお預けです。
もう身体ボロボロです。ヒザは擦り剥け背中と腰が今も筋肉痛です。もうこのペースだとノーマルシートは本当に限界なんだと痛感しました。

あとこのミニのタイヤはミシュランに戻します。やっぱり僕はミシュランじゃないと愛せません。加重移し変えた時とかに安心感と優しさがあるんです。ま、気持ちの問題ですね。タイムが一緒なら最後は信頼ですから、、、、、あと身体の負担が全然違いました。

ってことで来月からパイロットスポーツカップになります。ま、あれはあれでとても気難しい子なんですけどね。。。。





このテントは新堂英樹ミュージアム。
新堂さんの伝説が数々記録されています。
注目すべきはMSCGメンバーの10年前の様子が出ています。
あれ?あの人の奥さんこの人だっけ?や、あの人こんなにイケテタのか!などなど別の意味でエキサイティングなブースになっていたようです。(笑)
ちなみに新堂さんの幻のCDは販売されておりませんでした。





表彰式の様子です。
クムホの樋口社長が手を握っている人は松田氏の奥さんじゃありません。(笑)

でもこれに機嫌が良くなったせいか更に1セット好きなV700を賞品で出していました(笑)



そんなV700を今回ぼくの106に装着してサーキット試乗車としてみんなに乗ってもらいました。ほとんどの人は自己ベストを1秒以上更新しました。

「ミシュランだと思って乗るように!」とアドバイスした結果タイムアップに成功したようです。

ぼくも少しだけ乗りましたが、イマイチよく分からないのが正直な所です。
言葉悪いですが、もっと大味に、もっとコジッて、修正はソコソコに、、、、って方向で使えばこの106でも42秒は見えました。でもそれしちゃうと、せっかく今まで勉強したことが、、、、って心配になる。それくらいグリップレベルが高いです。

ぼくのタイヤの師匠である「カイパン王子」によると、「なんとかってやつが50なんですよ。50だとすぐ無くなります。耐久テストをガンガンしてその結果を報告せよ!」との指令が、、、、、


2月は4回サーキット走るので(オメガ走行会、メーカーテスト、メーカーテスト、AHA富士)この冬はセンサービンビン働かせて勉強したいと思います。




写真提供

しゃけハルカちゃん・CEH
たかはら君・チーム深谷
三浦ジロー氏・ディスティーノ 
 
2011年
01月
27日

新堂さんの一周忌
 この時季お約束の鳥インフル騒動。。。。宮崎のそのまんま知事もあれだけパフォーマンスしてたのに国に対して具体的な何かを見せないまま閉店。。。。

 ま、それだけこの話題に触れることはご法度なのでしょう。

 一つ納得いかないのは。。。。動物園にいる鳥達は殺処分されないことです。「県や市と協議のすえ。。。」と守られています。同じ鳥でも僕的にニワトリの方が偉いし尊いです。だってあれだけ僕らを満足させてくれているのですからね。ぼくは鳥見てるだけじゃ幸せになれません。



 同じ「死」でも。人の死から一年経った大イベント。

 「新堂英樹一周忌サーキット法要」が日曜日に筑波サーキット1000で華やかに開催されました。



 忘れもしない新堂さんの死から1年。。。。。悲しくもなぜか楽しいあの日から一年。

 新堂さんの一番弟子であるタイマツカーオプションの松田明大社長ことシャーク松田氏が発起人(喪主?)として前代未聞のサーキット法事が実現しました。

 参列者は新堂さんのご親族、お友達、後輩、弟子、同業者、そのまたお友達、更にそのご家族。。。。。結局ごちゃ混ぜで100台150人近く集まったでしょうか?


 我々チーム深谷も総出でエントリーしました。


 サーキット法事なので亡き新堂さんを思いながらシンミリ、、、、、、なんてことは全くありません!!


 朝一からデルタが爆発して、見たことないようなポルシェが達人の手により狂ったように走り回り、その仲間がバトルを勃発!
 半分裸のようなRQな御姉様達がたくさんパドックを歩き回り、ケータリングサービスでみんなモリモリ笑いながら食べて飲んで。。。。。
 我々も結局、、、、タイムアタック合戦と無法地帯と化したコースを入れ替わり立ち代り試乗タイムアタック大会!


 普通なら木魚の音色で眠気と格闘して、お清めで思い出話にふけながら偲ぶ。。。。



 結局楽しすぎて黙祷(もくとう)とかありませんでした。。。。(笑)



 来年は三回忌です。きっとまたサーキット法事は行われます。


 写真と内容は別にアップします。
 
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